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2025年度 福島学 第2回フィールドワーク
~南相馬市・相馬市エリア~


 今回は、南相馬市の防災センター・南相馬市小高地区にある「おれたちの伝承館」、沿岸部を車窓で見学しながら相馬市へ北上しました。福島第一原発事故によって避難せざるを得なかった小高区と津波被害で多くの家々が流されてしまった相馬市。福島県はこのような複合災害の爪痕と教訓が残されている県なのです。
 震災の翌年から開講した「福島学」ですが、南相馬市小高区を毎年フィールドワークエリアとして選んでいます。
 南相馬市の小高地区は、福島第一原子力発電所から半径20km圏内であり開講当時は小高地区を訪ねることができませんでした。2016年7月12日に避難指示が解除され翌月の8月に訪問した際は、受講している学生とともに小高地区を歩くことができました。町を歩いても人が見当たらない。家屋も倒壊したまま。しかし、それから小高区には新たなプロジェクトや施設が次々と誕生し、毎年伺っている私たちは訪れるたびに多くの気づきや学びをいただいてきました。昨年からお世話になっている「おれたちの伝承館」の中筋様からは、今年も大変貴重なお話をいただきました。
 今回訪れた相馬市の磯部地区、尾浜・原釜地区などは、特に大きな被害を受けた地区で震度6弱の揺れを観測し、高さ9mの津波が押し寄せました。これにより、400名を超える犠牲者と1800棟の住宅が全半壊する被害が出ました.相馬市伝承鎮魂記念館では、震災で失われた相馬市の「原風景」を後世に伝えるため震災前の写真や映像、犠牲者の芳名などが展示されています.

【学生の感想】
・牛が食べ物の代わりに木の柵をかじっている姿を目にし、胸が痛んだ。動物たちの命もまた、震災による被害を深く受けていたことを実感した。人間だけでなく、動物たちの苦しみにも目を向ける必要があると感じ、命の大切さと支援のあり方について改めて考えさせられた。

・中筋さんが撮影した写真が印象的である。スーパーマーケットの写真は、蜘蛛の巣が張られていたり、カップヌードルなどが床に散乱したりしていた。あまりにも悲惨な風景に心が苦しくなった。また、7.5メートルにも及ぶ大熊町の風景の写真はかつて住民に愛されてきたであろう街並みを感じられる。

・私はあまり東日本大震災の記憶が無い客観的に写真を見られたが、これらの写真を見た住民の方々は、やはり辛くなっているのかと思っていた。しかし、「これらの写真を見た住民の方々は『懐かしい』と言っていたということを中筋さんがおっしゃっていて、写真というのはいくら辛く苦しいことがあってもその思い出だけでなく、懐かしく楽しい思い出を思い出すことができるのだと気づきを得られた。それから、中筋さんがおっしゃっていた「写真は記憶を呼び覚ます」という意味を理解することができた。さらに、写真は誰かに当時の様子を伝えたり、自分の本当の気持ちと向き合うことができる大切な手段だと考えられた。

・「おれたちの伝承館」では、当時の様子をありのままの写真で伝えるだけでなく、それらをアートとして表現することで、また違った視点から震災を見つめ直すことができた。

・相馬市伝承鎮魂祈念館では、亡くなった方のお名前や亡くなられた方の数のお地蔵様、まだ持ち主が見つかっていないお写真を見ることが出来た。写真を見ているとお子さんの記念写真や結婚式、野馬追いの写真などがあり、写真が汚れているのが、被害に遭われた方々の特別な思い出や日常が急に奪われたことを強く考えさせられた。

記憶を留めておくことは、被害者の人の心のケアに繋がることはもちろん、これから起こる災害に対応するための教訓にもなると考える。

当時の記憶が少ない世代の私たちは、この活動だけで終わらず、これからも関心を持ち続けることで語り継いでいく責任があると思う。また、この活動を今後起こりうる災害にも活かしていきたいと感じた。

・「俺たちの伝承館」というところで、「放射線は見えないからこそ想像力で感じ、福島の復興のために自分たちができることを探していくしかない」というお話を聞くことが出来た。

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