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お知らせ

この不安の時代をどう生きるか「今、ネガティブ・ケイパビリティを」

 新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が延期され、私達は不安を抱えながらの生活を余儀なくされています。そんな中、本センター講師である香山雪彦先生(福島県立医科大学名誉教授・桜ヶ丘病院精神科医師)に、この新型コロナウイルス感染症による不安を抱えている人達に、何か心理的なメッセージをいただきたいという受講生からお便りをいただきました。

 香山先生にそのことをお伝えすると、すぐに「今、ネガティブ・ケイパビリティを」というメッセージを送ってくださいました。香山先生が本センターで開講予定の「この不安の時代をどう生きるか」のテーマに則した内容です。ぜひ、ご一読いただければと思います。

 


 

今、ネガティブ・ケイパビリティを

福島県立医科大学名誉教授
桜ヶ丘病院精神科医師
香山 雪彦

 

 ネガティブ・ケイパビリティ という言葉をご存じでしょうか。「すぐには答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」のことで、精神科医で小説家の帚木蓬生(ははきぎ ほうせい:このペンネームは源氏物語の二つの巻「帚木」と「蓬生(よもぎう)」からとられました)先生が提唱している言葉です。「できない状況を受け入れる能力」ですが、仕事など「できる能力」(ポジティブ・ケイパビリティ)ばかりが求められる社会の中で、これもまた同じくらい重要なのだと提言されているのです。

 今こそこの言葉が必要とされているのだと思います。今、私たちが陥っているものは、このCovid-19が(自分にも及ぶのではないかという不安ともに)いつ終熄するのかわからないことの不安・いらだちだと思うからです。

 

 帚木蓬生先生は精神科医としてはギャンブル依存を専門とされていて、医師ですから受診してくる人たちを何とか楽にしてあげたい。しかしこの分野では、受診してくる人たちが(だけでなく、その家族も)抱えている問題には「どうすればよい」という答が見えないことが圧倒的に多い。医師として、それを解決してあげることはおろか、その道があることを示してあげることも難しくて、毎日が苦渋の連続だったのです。

 その中でこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を知って、帚木蓬生先生はその苦しさを抱えて耐えながらやっていくほかないのだと思いあたって、自分の生きる姿勢を定めることができました。「医師に求められるのは、すぐに患者さんを治せないことを受け入れて、患者さんが歩む長い道のりに連れ添うこと。ただちに解決できない状況に付き合えるのも一つの能力である。そう思えたら、肝が据わります。」とのことです。

 その患者さんたちも、何とか治したい、治さないと・・・、と思っても、できることは限られています。そのなかなか出口の見えない苦しさを受け入れ、それに耐えながら、自助グループに参加するなどして、時間をかけて「自分との折り合いをつけていくことが必要なのだ」と帚木蓬生先生は言われています。

 私も、摂食障害に苦しむ人たちとかかわってきて、まさに同じことを考えてきました。拒食でも過食でも、それは出口の見えない人生を生き延びるために行っていること、何としても生き延びることが大事なのです。そこで私は、どうすれば生きられるかの道を一緒に考えていくことを仕事としています。

 

 今、メディアにはCovid-19のニュースばかりがあふれて不安があおられる中、私たちには(もちろん三密を避けマスクをつけ手洗いを徹底するなど感染を避けるためのさまざまな知恵を働かせることは大事だけれど)この自分では解決しようのない不安に耐えて生きる力が必要とされているのでしょう。ここを生き延びる、人間としての能力を試されているのかも知れません。しかし、ここに至るまで様々な苦境を乗り越えてきた私たちには、その能力があるに違いありません。その力を信じたいと思います。

 

 【文学に興味のある方へ】「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉は、最初はイギリスの詩人キーツが作った言葉だそうです。キーツは、「シェークスピアがこんなに重要な作家になったのは、リア王にしてもマクベスにしても、それらの悲劇には答が明確に出せない問題が扱われていて、読んだ人はみんな、心の中で自分なりの答を探し出そうとする、そこに人間の根源的な心の働きが惹起されるからである」と論じる中でこの言葉を作ったようです。この世の中には答がない問題の方が圧倒的に多くて、心はなかなか落ち着けない、人間はその状態に耐えて生きていかなければならないのですから。

 帚木蓬生先生もそのペンネームとなった源氏物語について、(シェークスピア以上に)読む人々に人間の根源的な問題を問いかけてそれぞれの答えを見いださせようとしている、だから千年の長い歴史を超えて今も人々を引きつけているのだと、その登場人物をたどりながら著書(『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』朝日選書 2017年)の中で論じられています。単なる光源氏の女性遍歴の物語ではないのです。

 

※今年度担当予定講座 「この不安の時代をどう生きるか~人生の各時期の社会と医療の状況~」

 

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