聖母ジャーナル 第1号(2026年6月)
6月23日、平和と平等を考える


聖母ジャーナル 第1号(2026年6月)

6月23日、平和と平等を考える

 6月23日。この日には、二つの大切な節目が重なっています。一つは、沖縄の「慰霊の日」です。1945年6月23日は、沖縄戦における日本軍の組織的戦闘が終結した日とされ、戦没者を追悼し、世界の恒久平和を願う日となっています。もう一つは、男女共同参画週間の初日です。

 慰霊の日に思い起こされるのは、戦闘員と一般住民の境目が溶け、女性や子どもや高齢者が「ただそこに居た」というだけで命を落としていった事実です。一方、男女共同参画週間に立ち上がる議論は、いまだ続く性別による役割の固定化や、家庭・職場・地域における権力の偏りを、一つひとつ言葉にしていく営みです。性質の異なるこの二つに共通しているのは、「ひとりの人が、ひとりの人として尊重される社会とは何か」という問いです。

 こうした問いに対して、日本国憲法は明確な答えを示しています。前文は、すべての人に「平和のうちに生存する権利」を保障し、第十三条は個人の尊重を、第十四条は法の下の平等と、人種・信条・性別等による差別の禁止を、それぞれ明文で掲げました。これらの条文は、戦争の惨禍を経た反省のうえに書かれたものです。そこには、いわば「一人ひとりを見えない存在にしない」という決意を読み取ることができます。憲法のなかで、「平和」と「平等」は分かちがたく結びついているのです。

 沖縄戦で命を落とした方々の多くは、戦時下で最も声を奪われる立場にいた女性、子ども、高齢者、地域に根ざして生きる人々でした。慰霊の日と男女共同参画週間が同じ6月23日に重なることには、偶然以上の意味があるように思います。平和をつくる作業と、性別による不均衡をならしていく作業は、根のところで「個人の尊重」という同じ憲法の理念に支えられているのではないでしょうか。

 戦争を遠ざけたいと願うなら、日常の小さな力関係に目を向けることが大切です。家のなかで誰が黙って家事を担い続けているか、職場で誰の声が届かないままなのか。こうした、見過ごしがちな日常の観察から、平等への気づきは始まります。「平和」と「平等」は、別々の理念ではなく、同じ憲法の根に支えられた一つの理念なのです。

 私自身、毎年この日が近づくと、新聞を読み直しながら、自分が誰の声を聞き逃しているかを考えます。学生たちの何気ない一言、地域で出会う方の小さな憤り、家族が呑み込んだ沈黙。声なき声に耳をすませることが、憲法が掲げる「個人の尊重」の、ささやかな実践なのかもしれません。

 6月23日。「平和」と「平等」という二つの言葉を心の片隅に置いて、いつもの一日を眺めてみてはいかがでしょうか。憲法が掲げる「個人の尊重」が、日々の暮らしのなかで、思いがけない姿で迎えてくれるかもしれません。

人間学研究所所長 元井貴子

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