言の葉だより 第2葉(2026年7月)
涼を、ためらわずに


 7月の昼下がり、駅までの道で、白い日傘がひとつ、ゆっくりと横切っていった。さした人の足取りまで涼しげに見えて、思わず目で追ってしまう。

 日傘は、かつて「女の人のもの」とされていた。それが近ごろは、男性がさす姿も、街ですっかり珍しくなくなった。けれど、それを「時代が変わった」などと、のんきに眺めていられたのは、まだ夏に余裕があったころの話かもしれない。

 この夏の暑さは、もう、季節の風物詩などという言葉ではとても追いつかない。今年からは、最高気温が40度を超えた日を「酷暑日」と呼ぶのだそうだ。わざわざ新しい言葉をこしらえなければならないほど、40度が珍しくなくなった、ということである。先日も、各地で今年初めての酷暑日が記録された。子どものころ、30度を超えれば「今日は暑いね」と言い合っていた、あの夏は、もうどこにもない。

 これは、日本だけのことではない。今年はヨーロッパでも記録的な熱波が続き、WHO(世界保健機関)が健康上の緊急事態と呼ぶほど、多くの命が失われていると聞く。暑さがこれほど牙をむく時代に、まっさきに危険にさらされるのは、いつも体の弱い人、とりわけ高齢の方々である。

 そして、いちばん胸が痛むのは、この暑さが、暮らしの厳しさと重なってしまうことだ。冷房は、いまや命を守る装置である。それなのに、物価が上がり、電気代を案じるあまり、冷房を控え、部屋のなかで亡くなった高齢の方が、少なからずいるという。危険を知らないのではない。分かっていて、それでも、電気のメーターが気にかかってしまう。身を守る道具はそこにあるのに、それをためらわせる別の事情がある。そのことに、私は言葉を失う。

 節電も、我慢も、長らく美徳とされてきた。けれど、いのちを削ってまで守るべき我慢など、どこにもない。本当に手を入れるべきなのは、一人ひとりの心がけではなく、涼をとることが贅沢になってしまう、その暮らしの土台のほうだろう。

 日傘は、もはやおしゃれの道具ではない。誰にとっても、命を守るための、ささやかな屋根である。女のものでも男のものでもなく、暑さに困っているすべての人のために、その日陰はある。いちばん暑さのこたえる人が、いちばん躊躇わずに涼を取れること。それが当たり前の夏であってほしい。
 そんなことを思いながら、今日も私は、日傘をひらいて夏の光の下を、歩いていく。

桜の聖母短期大学 人間学研究所 所長
元井 貴子

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