聖母ジャーナル 第5号(2026年9月)
水と沢庵の教育、そして教師と、優しさと厳しさについて
『月刊 高校教育』を毎号読んでいる。といっても自分で購読しているわけではなく、同僚の加藤知道先生が購読しているのを「回し読み」させていただいている。
この雑誌で、私が京都にいた頃に色々とお世話になった元高校教師・荒瀬克己先生が連載をされており、毎回色々と思考の種を植え付けられる。読み終わって思考が始まるのではなく、読んでいる途中で思考が始まるので、読み終わるまで1時間以上かかることもあった。今は9月号の連載を読んでいる途中であり、途中でこの原稿を書いているので、また読み終わるまでに1時間はかかるだろう。
森脇勤先生が登場した。といっても故人であり、荒瀬先生の思い出話として登場した。森脇先生は京都市の特別支援教育史を語る上で欠かせない教師であり、勤先生の父親である森脇功先生は、戦後京都の特別支援教育を熊谷君子先生らと切り開いた教師である。10年ほど前に勤先生のご自宅に招待されたとき、父・功先生が大切に保管していた生徒作品(今日でいうところの「知的障害のある子」が描いた作品)を捨てられずにいる、と見せてもらった。勤先生は画家でもあり、年賀状には毎年勤先生の作品が描かれていた。
勤先生には、思想があった。子どもを視る眼のピントが磨かれているというか、お話しされる内容に何度も心のなかで相槌を打っていた。これは私見であり、実証したわけではないが、その思想は父・功先生から引き継がれたところが多々あるだろう。勤先生は、子どもの頃に功先生に連れられて、知的障害のある子に混ざって遊んでいたと、よくお話を聞かせてくれた。
父・功先生は戦後の京都市立仁和小学校「特殊学級」担任として、いくつかの実践記録を残している。後の1970年代、知的障害のある子には高校教育など不要だというのが「あたりまえ」だった頃、京都市に養護学校(現在の総合支援学校)の高等部が設置されるよう獅子奮迅の活躍をこっそりとされた。京都市立東養護学校(現・東総合支援学校)の校舎には、その思想が多分に反映されており、功先生の実践には、教育という営み・現象への、揺らぎながらも軸の備わった思想があった。その思想の源流は、近江学園創設者の一人である、元・京都市滋野尋常小学校教師の田村一二にある。
1930年代、田村は「特別学級」担任として奮闘していた。最初は何もなかった特別学級の教室に、次第にいろんな教材・教具が揃っていった。だけど、揃うにつれて、物足りなさを感じていた。ある体調のすぐれない日に、自分が何もできない状況で、教材・教具を無視して子どもたちが自由気ままに遊んでいるのを見て、こう書いている。
一切の無駄な装飾物を取り除いた、安らかな、足が地についた感じであった(中略)
酒とすき焼の教育は、水と沢庵の教育に帰った(田村一二『忘れられた子等』教育図書株式会社、1942年)
戦後、教師を辞めて石山学園(現・大津市、後の近江学園)を始めた田村のもとを、功先生が訪ねた。特殊学級担任になった功先生は、一生懸命色々とやるが空回りしていたのである。その時、田村から「おまえはあほじゃ」と言われた。教育とは何をやるかではない、まずは目の前の子どもを見て、子どもの言うことに耳を傾ける、そこに本質がある、ということに気づかされる1)。
教育という概念・言葉は、今から約150年前の明治期に、educationの翻訳として誕生した。educationとは、引き上げること、つくり出すこと、援助すること、目覚めさせること、つまり「引き出すこと」である。人を型にはめて形成することでもなければ、人を何らかのグループに分類して(=くくって)決めつけて扱うことでもない。まず、目の前の人を見よ。その声に、耳を傾けよ。「人の心のあたたかさと、理くつなしの涙」2)を全身で受け止めよ。思い込みや勝手な想像で「あの人はああだ」と決めつけるのをやめよう。その決めつけと表裏一体である、嫌いだとか生理的に無理だとかいうのは、相手の問題ではなく自分の感情だということをわきまえて対応しよう。そして、優しさと厳しさを兼ね備えた教育の環境(物的・人的・時間的・空間的な環境)を構成せよ3)。そこで育つ人を、みんなで信じよう。そのためには何が必要かを、議論しよう。これこそが、教育の議論、学校の議論ではなかろうか。
紙の教科書か、タブレットか?教育のICT化?DX化?そんなことを、そもそも幼児・児童・生徒・学生が求めているのか?それ以前の、教育とは、学校とはという議論が抜けているから、議論が水掛け論で終わり、何十年も「教育改革」「学校改革」を続けているのに、「平等」という名の画一化が進み続けるだけで幼児・児童・生徒・学生から愛想をつかされるのである4)。今一度、水と沢庵の教育に戻ってみてはいかがだろうか。そこには、教員だけではなく教師がいて5)、優しさと厳しさがある。もちろん私も、失敗から学び続ける教員としての当事者であり、自戒を込めて書いている。日々、うまくいかないことだらけである。
書き始めて、ちょうど1時間が経過していた。読者に戻るとしよう。

裏表紙下には、「カバー特殊児童描く」とある。
和崎光太郎(こども保育コース・教授)
1)京都市における特別支援教育思想史については、拙稿『図録 京都における特別支援教育のあゆみ』(京都市学校歴史博物館、2016年、https://www.edu.city.kyoto.jp/rekihaku/exhibition/h27/1212/img/271212_zuroku.pdf)、拙稿「特別支援教育史に『教育の本質』を探る」『京都市学校歴史博物館研究紀要』(第5号、2016年、https://www.edu.city.kyoto.jp/rekihaku/about/dayori/bulletin/bulletin_vol.5.pdf)において、本当にラフであり到底研究成果とは言えないが、一応まとめてある。なお、田村が生きていたらおそらく「先生」をつけるなと言われるので、つけていない。
2)京都市立新洞小学校の教師・大橋まりが、1952年度の卒業文集に記した言葉。企画展「人の心のあたたかさと,理くつなしの涙 ~一教師・大橋まりの記憶と記録~」(京都市学校歴史博物館、2012年、https://www.edu.city.kyoto.jp/rekihaku/exhibition/h24/0428/index.html)。
3)優しさと厳しさは、両立する。優しさ(Inclusivity/Compassion/Empathy/Supportiveness)の対義語は冷たさ・荒さ・一方的・決めつけ・余計な介入・放任であり、厳しさ(Tough love/Fostering resilience)の対義語は甘さ・緩(ゆる)さ・余計な介入・放任である。このことを、私は、博士論文執筆の佳境で、優しさと厳しさを兼ね備えた恩師の指導を受けながら、実感した(結構最近の、2010年代前半のことである)。
4)「教育改革」「学校改革」がなぜ上滑りを続けるのかについては、松岡亮二編『教育論の新常識 格差・学力・政策・未来』(中央公論新社、2021年)がよい入門書である。なお、つかされてもよい「愛想」もある。重要なやるべきことをやって、思い込みや勝手な想像で愛想をつかされるなら、つかせておけばよい。
5)教員と教師の違いについては、直近では拙稿「『待つ』ということ」『週刊・授業改善エッセイ』(FDネットワークつばさ、2026年2月4日、https://www.yamagata-u.ac.jp/gakumu/tsubasa/essei/07-16.html)に書いた。
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