聖母ジャーナル 第6号(2026年9月)
同じコートへ、二つの勇気
- 子どもたちが「夢を見ていい」と思える国へ -
私は、スポーツ観戦が大好きだ。この夏も、テレビの前で何度、声を上げただろう。なかでも胸を熱くさせたのが、男子バスケットボールの日本代表だった。八村塁選手が約2年ぶりに代表へ帰ってきて、その隣には、河村勇輝選手がいる。この二人の歩みには、かたちの違う、それぞれの勇気が刻まれている。
八村選手は、富山の町で、アフリカにルーツを持つ父と日本人の母のもとに生まれ育った。まわりと見た目が違うというだけで、幼い日の彼は、いつも人の影に隠れるようにしていたという。世界で活躍するようになってからも、人種を嘲る言葉は絶えず、心ない中傷が「毎日のように来る」と、こぼしたこともある。それでも彼は、声を荒げるのではなく、静かに言い切った。自分は日本で生まれ、日本で育った。誰に何を言われようと、自分は日本人だ、と。生まれや見た目で、人の値打ちは決まらない。その当たり前を、彼は自分の存在そのもので示してきた。
彼は、おかしいと思ったことに口をつぐまない人でもある。一時期、彼は日本代表から距離を置き、もっと選手を大切にする体制であってほしいと、協会のあり方に、はっきり異を唱えた。世界の第一線で戦う者が、あえて母国の組織に苦言を呈するのは、たやすいことではない。それでも彼は逃げなかった。協会の側も強化の体制を改め、会長みずから海を渡って長い時間をかけて話し合ったという。そして今年、彼はまた、日の丸のユニフォームに袖を通した。声を上げた者と、それを受けとめた組織。長く問題の多かったといわれる協会が変わる、ひとつのきっかけになったのだと思う。
NBAで戦い始めて間もないころ、彼は心の不調で約3か月、コートを離れた。何のために生きているのかと思うほどだったと、後に本人が語っている。強い人でも、立ち止まっていい。準備が整うまで待っていい。彼の姿は、そう教えてくれる。
いま彼は、「BLACK SAMURAI」と名づけた育成の場を、自ら立ち上げている。この夏は神戸で中高生100人を指導し、名古屋では全国から招いた17人の高校生に、NBAさながらの舞台でゲームをさせた。最優秀選手には、ロサンゼルスへの招待という副賞まで用意して。中学生のころの彼にとって、「NBAへ行く」という言葉は、本人にも周りにも、まだ遠い冗談のようなものだったという。それを本当に実現した人が、いま、子どもたちに「NBAは決して遠くない」と、その手で示している。
将来の不安からか、子どもたちが「安定した公務員や会社員でいい」と、夢を語ることに慎重になっているとも聞く。そんな時代に、なりたい、なれるかもしれない、と思える機会を中高生に手渡すことの意味は、けっして小さくない。
その八村選手の隣に、河村選手がいる。彼が背負うのは、また別の困難だ。身長は172センチほど。NBAのコートでは、驚くほど小柄である。数々の巨漢がひしめくあの舞台に、彼は、その小さな体一つで挑み続けてきた。渡米3年目のいまも、保証された契約を手にしているわけではない。少しでも結果を出せなければ、契約は切られてしまう。それでも彼は、一度も、あきらめなかった。派手な得点で目立つより、鋭いパスと広い視野で仲間を生かし、八村選手のような得点源が輝く形を、そっと整える。体格に恵まれない子どもたちにとって、これほど心強い背中があるだろうか。
努力をしても、だめかもしれない。けれど、努力をしなければ、可能性はなくなる。少しでも成果を上げられなければ、明日の居場所はない。厳しい世界だ。しかしそれは、親の力や背後の権限ではなく、自分ひとりの勝負で決まるという意味で、公平な世界でもある。頑張ったからよい、ではない。頑張っても勝てないときは、負けを認めなければならない。スポーツは残酷だ。だからこそ、そこで己を鍛え、限界まで努力し、挑む姿に、私たちは心を動かされるのだろう。
そしてこの夏、二人がそろって、同じNBAのチームと契約を交わした。日本人選手が二人、同じ球団に名を連ねるのは、初めてのことだという。河村選手の契約はまだ保証されたものではなく、開幕の枠を勝ち取れるかは、これからの勝負にかかっている。それでも、夢のような光景に、あと一歩のところまで、二人は近づいている。
もう一つ、書き添えておきたい。9月のアジア競技大会、そして11月のワールドカップ予選は、NBAのシーズンと重なり、二人のいない日本代表が戦うことになる。彼らもまた、立派な日本代表である。「八村がいないから勝てなかった」などとは、言われたくないだろう。それは途方もない重圧であり、途方もなく高い壁だ。けれど、この夏、八村選手や河村選手とともに戦った経験は、とりわけ代表での経験がまだ浅い選手にとって、大きく伸びるきっかけになったはずだ。8月31日のカタール戦、第4クォーターの半ば。交代で入った高島紳司選手に八村選手がパスを送り、高島選手が3ポイントを沈めた。高島選手にとって、代表の公式戦で初めての得点だった。自分で打てる場面だったのに、八村選手は「次はお前が決めろ」と言うように球を託し、高島選手はそれに応えた。テレビの前の私には、そう見えた。あの1本は、これからを担う選手の胸に、重みをもって残るだろう。二人のいない日本代表の戦いも、しっかりと応援したい。
日本はバスケットボールでは勝てない。私は長いあいだ、そう思っていた。けれど、八村選手と河村選手、渡邊雄太選手やジョシュ・ホーキンソン選手、そして国内で腕を磨いてきた選手たちが、一つのチームとなって身を削り、戦う姿を見ていると、日本の男子も、海外の強豪に勝てるのではないかと、私まで夢を見てしまう。高齢の母も、八村選手をはじめ男子バスケの大ファンで、来年のワールドカップ、再来年のオリンピックで、NBA勢のそろった日本代表が戦う姿を見たい、それまで元気でいたい、と言う。スポーツができなくなった人にも、こうして夢を運んでくれる。私がスポーツを好きな理由は、そこにある。
秋になれば、二人は海の向こうへ帰っていく。それでも、日本代表の戦いは続く。私はこれからも、テレビの前で、バスケットボールを、そしてスポーツを、応援し続けたい。
元井貴子(桜の聖母短期大学 人間学研究所 所長)
受験生の
在学生の
資料請求
オープン


