聖母ジャーナル 4号(2026年8月)
「役割」と「個人」のあいだ
- ハラスメントの心理的構造を考える -


 一時期、著名人によるセクシュアルハラスメント問題が社会を騒がせた。個別の事案の真相は報道のみで判断できるものではないが、この議論が私たちに突きつけたのは、人から注目され、憧れを向けられる立場にある者が、その感情をどう受け止めるべきかという普遍的な問いである。今年からこども性暴力防止法が施行されるということも相まって、長く教育の世界に身を置く私にとっても示唆に富む問いである。

 教育現場でも、子どもたちから教員に対し「憧れ」といった親愛の情が向けられることがしばしばある。発達段階にある子どもや若者が身近な大人を肯定的なモデルとして受け止めることは重要である。しかし、教育者が決して忘れてはならないのは、その好意のすべてが「一個人としての自分」に向けられているわけではないという事実である。

 子どもたちは「○○先生」という個人と同時に、「先生」という役割そのものを見ている。役割に付随する権威、専門性、あるいは子どもたちを守る立場としての安心感こそが、好意の源泉となっている場合が多いのである。ところが、人は周囲から好意的な反応を受け続けると、その影響力が「立場」によって生じていることを失念し、あたかも自分自身の個人的な魅力であるかのように錯覚してしまうことがある。この認識のずれこそが、不適切な言動を生み出す心理的な「落とし穴」となるのである。

 このような「役割の私物化」は、教員という役割に伴う信頼や影響力を、自身の個人的な不満の発散や、子どもたちを味方につけて自己の優位性を確認するための道具として利用するという形でも現れ得る。このような行為は、一見すると優位的な立場にある者が「親しさの証明」として個人的な感情を見せたに過ぎないと感じられるかもしれないが、公的な役割を個人の感情を満たすために利用することは、専門職としての倫理を著しく損なう行為である。

 ハラスメントの問題は、必ずしも悪意だけによって生じるわけではない。「相手も喜んでいるはずだ」「嫌なら断るだろう」という思い込みが生まれるところにこそ危うさがある。そしてその背景には、自分が置かれた立場や役割が相手に与える影響を十分に意識できなくなる心理が潜んでいる。上司と部下、教員と子どもたちといった「非対称な関係」の構造がある限り、一方が「親しみ」のつもりで行った言動であっても、受け手側は圧力を感じざるを得ない。

 私たちは誰しも、社会の中で何らかの役割や肩書きを持って生きている。しかし、時に人はその役割が持つ影響力を忘れ、それを自分自身の力であると錯覚してしまう。教員、上司、有名人など、人に影響を与える立場にある者ほど、その危険性は大きい。だからこそ私たちは、自分と相手が単なる役割同士ではなく、それぞれ意思や感情を持った一人の人間であることを忘れてはならない。役割の背後にいる「個」を見つめ、その人の立場や思いに想像力を働かせることができれば、年齢や性別、肩書きを超えて相手を尊重した関わり方が可能になるのではないだろうか。

滝谷寿美(子ども保育コース 講師)

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